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男女平等は理性の真逆を行く

男女平等とは何か?

男女平等が提唱されてから早幾十年。まずは男女平等について日本の中だけに話を限定したい。

誰もが平等という名の下に安心してしまい、この思想を良い物として無意識下に捉え思考を放棄しているとは思わないだろうか。

中には

女性は都合のいいときだけ「男女平等」を訴える - NAVER まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2143506284208319801
のようにそれは無理と考える人たちもいるが、ここに本当の答えはない。

そもそも、男女平等で世界はどうよくなったか説明できる人がいるだろうか?
女性はなぜ虐げられてきたのかその経緯を説明できる人はどこへいった?
縄文時代には女性の土偶がいくつも見つかっている。本当に女性を蔑視していたのが日本の歴史ならば、こんなものはないはずだろう。

今の社会は男女平等という思想が生まれる前より不幸になっていると言わざるを得ないはずだ。
女性にとって本当にいい世界になっているのならどうして女性の自殺者が出る?

かつて日本男児の天才、北一輝は社会の不幸は貧困にあるというようなことを言ったが、彼が死んで100年経とうという今でも貧困も不幸も消えてはいない。

大天才にもこの世界どころか日本の貧困さえ消すことは出来なかった。

真の社会主義の理念がこの世界の人の頭の中にはないからだ。

万民が無知蒙昧ということもあるかもしれない、しかし、本当の意味で貧困を無くそうと考えるのならまずは男女平等というものについてしっかりと考えをまとめるべきである。

なぜなら昨今の男女平等の概念とは、男と女の違いを無くすことであるからだ。

それは無理だし、そんなことをしたら満員電車で痴漢をしたり男が女を殴るのは当たり前、もっといえばレイプはレイプじゃなくなるのである。

そんな社会はクズだし、なるわけがない。

さて、男女平等の何がいけないか? という問いに対しては逆に男尊女卑はなぜいけないのか? という点について議論しなければならない。

まず、男尊女卑社会というのは女性は卑しいものとする男の独り善がりから始まっている。

男尊女卑だと感じる6つの瞬間や理由とは? - 5セカンズ

the5seconds.com/danson-johi-20024.html

こうなる理由の1つとして、男はプライドの高い生き物であるということが理由に挙げられる。

女性のプライドとは別質の性質で、男のプライドは生きることに直結する。
これを理解していない女性は男が不機嫌になる理由がわからないと言って男尊女卑を叫ぶ。

多くの男はこのプライドを頼りに生きており、特に女にこれを踏みにじられるということは男にとって「お前の存在価値はない」と言われていることと同義である。

つまり、男が無碍に扱われるということは「お前は空気だよ」と言われているのに等しいのだ。例え言葉で言っていなくても行動でそれが示される。

であるからして、男は本能的に「悲しくなる」。

これを理解していない頭の悪い女は「男って……」と考える。それが男尊女卑だとか男女平等じゃないだとか、そういう話に誘導させられているに過ぎない。

しかし、この話を聞いた女性は既に頭の悪い女性から一歩前にいる。

捉え方は自由だが、男なんてそんな生き物といえばそんな生き物だし、どのように貶そうと反論できない。
今、それに気づいていなかった女性を頭の悪い女性と貶していた男がここにいるのだからひとまずお互い様である。

さて、そういったことを理解した上で男のプライドを傷つけずに生きようと思えば女は必然一歩引かなくてはならない。

お茶くみをして死にたくなる女性がいれば話は別だが、男の大半は目上の存在がなければ男に対しても女に対してもお茶くみなど出来れば死んでも御免被りたいだろう。
そんなのは男のヒエラルキーの中では下の下がすることで、お茶などないほうがマシになってしまう。

そんな面倒な世界が男にはある。

猿山でボス猿にお茶くみをさせようとしても無駄なのである。
お茶汲みを拒否する男というのは「俺はボス猿のつもりなんだよねえ~」と言っているようなものだ。

これを男尊女卑というのであれば結構。
だからこそ、この世界から貧困も不幸もなくならないということであろう。

では、そういったことを叩き潰して男にお茶汲みをさせるとどうなるのか、女性は考えたことがあるだろうか。

まず、男は自分はボス猿じゃないので隅っこに行くことになる。
お茶汲みもするし、女性に何をされようと何を言われようと黙って耐える。何もしない。

何もしなくなる。のである。

前述したように男のプライドをへし折るということは男から生きる意味や動機を根こそぎ奪うのと何ら変わらない。

それは男に生まれた者の性であり、それが男という生き物なのである。

2017年におけるこの世界の王、ロスチャイルド家が現実にやっていることの1つとして女性を自由にするというものがある。

まさにボス猿の中のボス猿である。

女を中東で売り買いし、女を紛争で奴隷にし、女を買い取って物として扱う。
現地には武器を売る。紛争が続く――。

なぜこんなことをしているのかといえば、数万年人間の歴史を遡らないといけない。

男女平等という考え方が世界の足並みとは逆行している思想であることがおわかり頂けただろうか。

男女平等とは男子去勢と言い換えてよい。

問題はそうではない。男女平等という言葉そのものが既に男尊女卑であるということに気づけるかどうかである。

そもそも誰の目線から平等と叫ばれているのか、平等じゃないから平等という言葉を使ったとすればそれはもう既に男尊女卑である。

女性幸福主義とでも言い換えた方がまだ平等目線である。

ここまでの感覚を一般人に求めても仕方がないとは思うが、それでもあえて言いたいのは女性を本当の意味で幸福にしようという真の願いがその言葉の裏にあるならば、男女平等などという安直な言葉にはならないはずであるということである。

女性の真の幸福を男が考えなくてはならない。

なぜなら未だに男女平等という言葉がまるで女性を尊重する代名詞になって誤魔化されているからだ。
何度も言うが、男の目線で女性の幸せを考えても無駄である。
それは、男に支配される女性の構図でしかない。

何にせよ21世紀は未だ男の方が女の一歩上を行っているとしか言いようが無い。
こんな言葉に騙されない女性が出てくるまでこの世界にはずっと女性の貧困が続くだろう。


ここからは私の女性幸福社会を書く。
普通の人はスルーでお願いしますよ。

まず、貧困な女性を淘汰しなくてはならない。
その意味は子供の貧困にあるからだ。

社会の貧困は貧困の大人が貧困の子供を産むことに起因すると考える。

資本主義社会の富める者が富み続ける理由の1つは貧困の子供が減らないことが理由である。
そして日本もいずれそうなる。

世界のどこかにいるというその富める王を討つためには富を再分配するにあたって人口比率を用いるべきである。
第三次世界戦争は人口削減、富の再分配になる。

富=人の価値
である。

人の信用が紙幣であるように一定の信用を持たない人間は世界から排除する。

それが新しい時代の幕開けになる。

世界平和とは女性の管理、強いては子供の管理によってのみなされなければならない。
それが戦争を起こさずに人を殺さずに求められる平和の最適解である。

貧困が貧困を増やすことには何のメリットにもならない。

逆に富める者が増えることは富の再分配に繋がる。

もはや、国は形骸化した社会でしかなく、実質は企業という国である1個人。

女性の幸福とは生まれてこないことに尽きる。

女性の保有数を国家ごとに指定してしまえば、そもそもこれほど格差社会が叫ばれることもなかった。

男女比が平等ということが諸悪の根源であり、争いの種である。

女性が好きなだけ産むことができる社会は今と同じだが、神話の社会ではそれは限られた女性にのみ与えられていた特権だったに違いない。

だからこそ、神話には性別がコロコロ変わったりするものもあった。

ところが、女性に対してその制限を取り払った途端、平和な世界は崩壊を始め、巨大な争いと苦しみと数多の不幸が生まれ始めた。

結局のところ人間は理性を一度失ったがために全ての災厄を招いたことは神話と何ら変わらないのである。

神々はその過ちを正すため、ノアの箱舟を造り動物として生きていくことを約束に世界に終焉を与えた。

ところが、ノアの箱舟にいた人間たちの一部は知識を捨てずにいられなかったため、昨今の世界があるのではないか。
我々は野に放たれ動物を狩り、自然の摂理に従って罪を贖い生きていなければならなかった。

その監視役は今も月の裏にいるに違いない。

以上。

by yunolite | 2017-06-16 05:22